風に立つライオン

風に立つライオンになりたい、とずっと思っていた。

今日、生まれて初めて、さだまさしさんの「風に立つライオン」を聴いた。

ショックだった。

感動した。

おそらく、国境なき医師団のようなものでアフリカに医療にやってきた若者が、日本に置いてきた女性から手紙をもらうという状況の詩である。

おそらく、その女性が結婚するという報告だったのだろう。

彼は、その女性と千鳥ヶ淵で見た桜を思い出す。

故郷の桜ではなく。

アフリカの地では、そこに生活する人々は病気だけれど、心は自分より健康だと思う。

我が国は前年ながらどこかで道を間違えた、と感じる。

自分の国やその女性を捨てたわけではない。

風に立つライオンになりたかった…

ショックを受けた。

私も、風に立つライオンになりたかったのだと気付かされた。

でも、過酷な状況に身を置くだけではそうはなれない。

私に何ができるかわからない。

現代の生活を100%捨てることもできない。

どうやったら風に立つライオンになれるかわからない。

涙が出た。

お金ばかりの生活に疲れている。

だが、お金を使わない生活は考えられない。

きれいごとをいうつもりはない。

ただ、風に立つライオンに憧れていた。

彼らは、ただ、生きている。

生きるためだけに、毎日を生きている。

一心不乱に生きている。

たぶん、大変だと思ったりもしない。

生きなければいけないから生きている。

子孫を残すことが生き物の仕事だ、と言われるし思われるていると思う。

しかし、なんらかの障害などがあって子孫を残せないことも、もちろんある。

それでも、彼らはとにかく生きている。

そして、死んでいく。

淡々と死んでいく。

そんな孤高の存在に、なってみたいと思っていた。

そんなこと無理だと思う自分がいる。

それでもそのような生き方が究極だと思う自分がいる。

楽しいとか将来はこうしたいとかお金がたくさんほしいとか、

そんなものとは関係のない生き方。

絶対に無理だとわかっている。

そんなの、坊さんになるか尼さんにならないと達成できない。

おそらく、究極はそこに行きつくんだと思う。人間だと。

まだ欲がある自分が汚れていると感じてしまう。

でも、楽しく行きたいと思う自分もいる。

どうしたらライオンになれるのだろうか。

いつか答えが出るのだろうか。

答えは、まだ出ない。