自分で選んできたようで、自分で考えていなかった

さて。

先にも書きましたが、大学卒業時から、何をやるにしても他人の考えや価値観を基準にしていて、自分の意志というものがなかったことに気付かされています。

就職するときも、友達の意見を聞いてその通りにしてみたり。

就職後に辞めたいと思っても、もったいないと言われたら続けてみたり。

(ほかにやれるものが思いつかなかった、というのもありますが…)

世間的に名が知れたカッコいい横文字の仕事にあこがれてみたり。

自分の考えというものが、全然なかった。

色々なことを諦め、卑下し、そこそこの生活で満足して、自分にとって何が大切か?を見ることを避けていました。

避けていた、というよりも、そもそも考えることもしていなかったし、考えたとしても世間一般の価値観の中で判断していた。

その時その時で自分の考えだと思っていましたが、何年たってもしっくりこなかったということは、自分の考えではなかったということなのだと思います。

自分の内なる声、というものが聞こえなくなっていたし、聞くことが怖かった。

だって、聞いてしまって、実現可能性がすごく低いものを望んでいたらどうしよう。

本心がわかっても結局あきらめなくてはいけないなら、また絶望してしまう…

先回りして、自分が傷つくことから避けていた。

全部、そういう思考回路でした。

やっと聞けた、自分の原点。

環境問題に携わること。

これだ、これだ。

おそらく、一生の仕事になると思います。

まだ携われると決まったわけではないですが、叶う、と思います。

むかしは、とにかく野生動物を守るんだ!!

これだけを考えていました。

ところが、最近は増えてしまっている動物もいる。

人間の経済活動を否定する気持ちは全くない。

飛行機だって乗りたいし(乗り物好きだから)、世界のあちこちにも行きたい。

極端なことを理想としているのではありません。

ただただ、人間と動物、そして自然をうまく共存させたい。この先何百年も。青い地球を青いままでいさせたい。

そんなことをテーマに、地球に貢献したい。

…ずいぶん若いころにも似たようなことを考えていました。

どうやって実現したらいいかわからず、また、これだけでは食べていけないとわかって、早々に諦めましたが。

でも、希望って大きくていいんじゃないかしら?

なんでもっと若いときにそう思えなかったんだろう…自分に自信がないにもほどがあります。

なんか、すごい人間にならないといけない、と思い込んでいたんだろうと思うんですよね。

それも世間の影響ですね。

テレビで取り上げられる人は、本当にものすごい人ばかり。

そういう人ではないといけない、と思い込んでいたんでしょう。

そうではなくて、私のできる範囲で頑張ればいいんですよ。

ただの点にすらならなくていいんです。微力で。

小さな力も集まれば大きな力になる。

その小さい力の一つになりたいなぁ。

そんな感じです。

今日もありがとうございました!

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投稿者プロフィール

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音羽 風子
子供のころにスペインで生活していた期間があり、世界の大きさを実感し、自由に生活することに憧れる。趣味は、旅行、写真、お酒を飲むこと。
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