現代ビジネス“「天才少年」その後の人生”を読んで感じた今からの人生へのヒント

日課のようなYahooニュース。

ふと目に止まった記事がこれでした。

現代ビジネスの、“「天才少年」その後の人生”。

とても気になりました。

ここで紹介されている少年は、日本で初めての飛び級入学で高校3年生を経ず、大学に入学した方を中心に数名登場します。

かつての天才少年がどうなっているか、を取材した記事です。

ミーハーな気分半分、ちょっと気になったのです。

それというのも、

一応国家資格を持っていながら、その資格の重さで身動きが取れず、自由になりたいと思うことが多い私。

なにか共通点があるのでは?と思ったからです。

ちょっと長いですが、お付き合いください。

天才少年の中でも、佐藤さんの話にとても心を動かされました。

以下、記事を引用します。

 ちょうど20年前の’98年春、千葉県在住の高校2年生・佐藤和俊さんは、新聞各紙、テレビ各局で大々的に取り上げられた。それは日本初の「飛び級」で千葉大学工学部に入学を果たしたからである。

佐藤さんは、千葉大学が行った物理学の分野で優秀な人材を募集する「飛び入学」選抜に合格した天才少年だった。

いまや37歳となった佐藤さんは、現在の仕事についてこう語る。

「トラック運転手をしています。時間は不規則で、朝の3時から走り出すこともありますね。ただ、日曜と祝日は休みなので、家族と過ごせる時間がきちんとあることがありがたいです。

保育園のときに菅原文太さん主演の映画シリーズ『トラック野郎』を観て大型車が好きになったんです。いつか乗ってみたいなと憧れていたんですよ」

なんと…

天才少年は保育園時代に菅原文太さんに影響されトラック野郎になっていた!!

続きの抜粋です。

「中学2年の終わりころ、数学の授業で先生から『今見ている星は消滅している可能性がある』という話を聞いたんです。それから、『光ってなんだろう? 』って考え始めたんですよね。
 いろいろ勉強してみたくなり、それこそ相対性理論だったり、量子力学だったり……だから、数学と理科をやらなきゃ理解できないって思ったんです。本気で勉強を始めて、中3のときは、数学と理科の試験は何度も満点を取りました」

その後、佐藤さんは希望の高校に入学し、飛び級入試を知ったのは高校2年生の夏頃だったそうです。

高校での物理では、佐藤さんの疑問に対する答えが出なかったのだとか。

すごいですね。

本当に面白くて仕方なかったんですね。

続きの抜粋です。

大学3年になって研究室に入り、半導体について勉強していました。将来は研究者になりたいと考えるようになりましたね。やはり、紙の上だけでなく、実験をやることが楽しかったんです」

これ、素直な気持ちですよね。

好きで楽しかった。

だから、ずっと研究がしたかった。

佐藤さんは大学院に進学し、修士課程を終え、研究職についたそうです。

しかし、いくら天才少年でも、研究職で安定した収入を得ることは難しかったようです。
 

 「研究職として月給は手取りで約20万円でした。しかも、1年契約で何年更新できるかもわからなかった。大学院生時代に中学時代の同級生と結婚して、娘も生まれました。
子どもがいる状態で、1年契約の仕事をすることは不安でしたね。安定した生活にシフトしたいという気持ちになり、研究職は1年で辞めて、地元の千葉に戻りました」

なんとトラック野郎に憧れていた佐藤さんは、大学時代に大型免許、大型特殊免許、牽引免許を取得していたのだそうです。

千葉に戻るとトラック運転手の仕事はすぐに見つかり、しかも安定した収入が得られたそうです。

しかも免許があれば職にあぶれることもない、とのこと。

研究職に未練はまるでないと言うように、佐藤さんは笑顔でこう続ける。
 「デコトラ(装飾がついたトラック)にも乗りたいんですが、入れてくれない現場もあるのでなかなか難しいんです、でも、自分のトレーラーには、怒られない範囲で電飾はつけています。
 仕事のやりがいを聞かれると困るんですが、とにかくトレーラーは走っているのが楽しいんですよね」

 大学入学当時のことを佐藤さんはこう思い返す。
 「周りからいくら凄いね、と言われたからといって、プレッシャーは感じていませんでした。自分がすべき勉強は変わらないと思っていた。飛び級の経験がマイナスになったことはありません。
 プラスになったかどうかは、飛び級をしなかった人生と比べられないので、わかりませんね。

佐藤さん…

なんて柔軟な考え方!!

自分がどうしていることが幸せか、をよくわかっていて、過去の栄光にしがみつくことがない。

人生の師と仰ぎたい!


ここから私の話を聞いてください。

私は小さい頃から動物が好きでした。

「わくわく動物ランド」が大好きな少女でした。

広い世界への憧れもありました。

高校に入って生物の授業を受けると、これまた面白くて面白くて。

テストを受けると、他の教科との偏差値の差が大きいため、

グラフにすると大嫌いな数学の棒がまったく見えないくらいでした。

ここまで生物が好きで動物が好きなら、いっそのこと獣医になってみたい、

と思ったのです。

自分が医者になる。

そんなこと、考えたこともありませんでした。

しかし、母親の応援もあり獣医を目指すことに。

私は天才ではないので、すんなり大学に入ることはできませんでした。

苦労して苦労して、勉強して勉強して…

やっと入れた大学は、毎日毎日午前は講義、午後は実習。

まるで中学生のように規則正しいカリキュラムでしたが、楽しくて楽しくて、思い描いていたとおりの大学生活でした。

そして、半年弱の期間、毎日12時間くらい勉強して国家試験に受かりました。

そんな思いをして手に入れた資格。

とても輝かしい資格。

でも、動物のお医者さんはブラック企業も真っ青なお仕事。

とても続けられないと思いました。

では獣医の資格を活かせるのは?

となると、公務員なのですが。

動物からも離れ、生物学とも離れ、

何をしているのかなぁ、と思う毎日です。

そんな悶々としていたときに、この記事と出会いました。

佐藤さんも大好きな研究から離れておられますが、

自分の幸せに正直です。

過去に天才と言われていたことなんか気にもとめていないようです。

そして、昔から憧れていた事を実現されています。

ここで思ったのが、

子供の頃に憧れていたものというのは、その人の本当の求めているものなのではないか?

ということ。

成長するにつれて様々なものに興味をもっていくけれど、

本質は変わらないのではないか?

ということ。

一生懸命苦労して手に入れたものも大切だし、その過程で得たものは大きいけれど、

それに縛られなくてもいいのではないか?

ということ。


親に悪いから、とか、プライドがあるから、とか、あんなに苦労したのに…、とか

そんなことは頭で考えることだけれど、

心が感じるままに、憧れのままに生きる方が幸せなのかもしれない。

美しい自然や、生き物を写真に撮ってみたい、広い世界を回って見てみたい、

本質的に憧れているのはそれだけだったんだと思うのです。

佐藤さんの記事は、私の悶々に一つの答えを見せてくれました。

今までも大事だけど、今からも大切な人生。

天才少年は普通の人になってしまっていましたが、私にとっては光をくれた、やはり偉大な師匠でした。

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投稿者プロフィール

音羽 風子
子供のころにスペインで生活していた期間があり、世界の大きさを実感し、自由に生活することに憧れる。趣味は、旅行、写真、お酒を飲むこと。
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