「バカの壁」の著者、養老孟司さん。
解剖学者であり、脳科学者であり、昆虫博士でもある、スーパー先生です。
ご著書、「バカの壁」は拝読しましたが、先生と私の間にはものすごい「バカの壁」が立ち塞がっておりました…
ちょびっとしか理解できなかったなぁ…
ですが、養老先生のお話になることはとても面白いので、
こんなメンタルのときになんとなく先生のご意見が知りたいなぁ、と思い、ネット検索。
日経マネー別冊「私のマネー黄金哲学」(2010年5月)の記事を基に日本経済新聞が再構成したインタビュー記事を見つけました。
抜粋ですが、非常に考えさせられます。
養老先生は、将来のおカネに対する不安というのは全く感じていないとか。
なぜかというと、おカネの価値が完全に破裂してしまった時代を知っているから、だということですが…
うちの父は戦争中、昭和17年に結核で死にましたが、僕の大学の学費を賄えるだけの保険金を残してくれました。ところが戦争に負けた後、猛烈なインフレが起こり、さらに新円への切り替えがあって、それまでのおカネはあっという間に全部紙くずになってしまった。
当時僕は小学校低学年で、自分でおカネをどうこうする年齢ではありませんでしたが、「おカネなんてあてにならない」ってことは肌身に染みて理解しました。おカネとは要するに人間が作った約束事、ためてもいざというときにどうなるかは分からない。ならば天下に回しておけばいいっていうのが僕の考え方です。
「お金の価値がなくなる」
ついこの間まで(20代後半か…この間かなぁ…)お金というのは絶対的な価値を持っていて、なくなるなんて考えたこともなかったワタクシ。
今ならばお金の価値は絶対的なものではないと感覚的に知っていますが、先生は肌で感じられたわけです。
お金なんてただの紙じゃん、道具に過ぎないじゃん、という感覚が養われるのも納得です。
インタビュアー:そのおカネをどう使いたいのかが、まずあるべきだと。
そうですよ。僕は中年サラリーマンこそ「自分は何のために生きているのか」という青臭い議論を、今すべきだと思っています。その必要性を一番よく示している数字が、自殺者の増加でしょう。日本人の自殺者数は増え続けています。不景気で自殺者が増えるのは、要するに万事がおカネの世の中になっているからですよ。
仕事やお金がなくなると人生に行き詰まってしまう、ということになる…
多くのサラリーマンが、自分の人生と会社の仕事を同一視し過ぎです。会社で働くというのは、社会に必要な機能分担、役割分担を引き受けているだけのこと。
たしかに…
私もお金がほしい、と思っているのは、少しでも楽な生活を、少しでも緊張の少ない生活を、少しでも豊かな生活を…
と考えているからですが、
じゃあ具体的に何に使いたいのか?
と聞かれると即答できません。
旅行に行きたい、とか、勉強し直したい、とか
いろいろ出てきますが、結局個人の範疇を超えていない。
他人に何が還元できるか?
お金を使って人様になにかできないか?
というところまでの考えは、残念ながら行き着いていません。
そして、お金が稼げなくなってしまったら、仕事がなくなったら…
と思ったら、生きていけなくなるのではないか、
カイシャにとどまれるかも、と思ったら思いっきり安心してしまった。
追い出されないということは安心感なんですが、なぜ安心したか、というと、
「組織にいる私」が「私」になってしまっているのでしょう。
組織の外に出たいのはなぜか。
なぜ生きているのか。
生きるとはなにか。
豊かさとはなにか。
その自問自答が足りていないのです。
人生とは生きるとは、自問自答し続けることだ、と教えてくれた方がいました。
この記事を読んで、そのことも思い出しました。
おカネはあくまで手段なんです。ところが今の日本には、やることがないのにおカネだけ持っているヤツが多過ぎる。それで結局そのおカネを政府が使っちゃう。政府の借金が800兆円というけれど、それは結局個人の貯金が回っている状態だからね。
これですね。
何をやりたいのか。
ただお金持ちになりたいのか。
でも、お金なんてたくさん持っていても、明日紙切れ同然になる可能性はあるんですよね。
そう考えると…
何かがしたい、そのためにお金が必要だから持つ、そしてお金を使って還元する
ということが健全な気がします。
安心を得たいから、という理由はダメなのかしら…?
インタビュアー:じゃあ、日本人のサラリーマンが、不安だとか老後が心配だといっているのは…
甘ったれるんじゃねえとも感じますね。世の中に寄りかかるんじゃねえと。その年齢になったらあんたが世の中を支えるんだろうといいたい。少子高齢化というけど、人口が1割減るなら、みんなが1割分余計に働けばいいだけのこと。日本で生きるのが不安ならブラジルでもベトナムでも行けばいい。
ガーン
怒られました。
そして、養老先生はラオスに行ってお米の農家の方に、
年に何回お米が作るのですか?
と聞いたことがあるらしいのですが、
こんなに大変なこと、一度でたくさんだ
と言われたそうです。
反省…
いろいろ余裕があるから変に気持ちを病んでしまうんですね。
また、仕事しかない、これがなくなったら生きていけない、と思うからしんどくなるんですよね。
養老先生は、サラリーマンは里山へ行け!とおっしゃっています。
定期的に土に触れることで、自然に身を置くことで、意識が変わっていく。
そうすることで会社以外の人生を生きることも、見えてくるのでは?
とのこと。
今回、精神的におかしくなって思ったのは、
野菜でも作って食べていけないかな?
ということでした。
土をいじって、自然の中で時間を過ごして、自然の中の人間に戻っていく。
そんな時間が必要なんじゃないか、と感じました。
同じようなことを養老孟司先生がおっしゃっています。
人間の、日本の経済はこの先どうなるかわからないのです。
お金だけでやっていける時代はもう少ししたら転換期に来るような気がします。
そうなったときに強いのは、自分で食べ物を作って食べていける力かもしれない…
そんなことを漠然と考えていました。
今回、命の洗濯の時間をいただいたので、そんなことを実践に移すのもいいかもしれません。
貸し農園とか探してみようかな…
投稿者プロフィール
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子供のころにスペインで生活していた期間があり、世界の大きさを実感し、自由に生活することに憧れる。趣味は、旅行、写真、お酒を飲むこと。
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