いい年して新しいことを始めるって、大変です

お久しぶりです。

だいぶ久しぶりになってしまいました。

転職し、奮闘しているぶーこです。

今、とても精神的に参っているからか…

久しぶりに書く気になりました。

さて。

この4月に転職しました。

動物の医療機関で働いています。

毎日必死でなんとかしがみついている、という心境。

年を取ってから新しい仕事を始める大変さっていろいろあります。

まず、環境に慣れるのに時間がかかる。

あるいは、なじめない。

そして、覚えが悪い。

さらに、疲れる。

でも、最大なのは、

他人から怒られることに抵抗がある。

環境に慣れるのに時間がかかる、と書きましたが、

1か月もすれば慣れました。

これは人によるんだと思いますが。

私は、どうもこの環境になじめていないです。

もとからいる人たちの勢力(?)に入れない。

なんというか、

その会社で既知のことがわからない。

それは当然なんですけど。

積極的に知りたいとも思えないところがあります。

その人、どういう人なんですか~?

とか、ライトに聞けない。

どうも居心地が悪いです。

次に、覚えが悪い。

薬の名前とか、全然覚えられない。

学生時代が終わって就職すると、おそらく頭の回転も速い。

というよりも、頭の使い方が違いますね。

仕事をしていても頭は使いますが、

記憶するような頭の使い方はしなくなります。

その時間が17年。

いまさら覚えるような頭の使い方をするのは…

負荷が大きいです。

覚えるってエネルギーを使うんですよね。

で、疲れるんです。

いろいろ気を使いすぎて毎日へとへと。

いい年してうろうろしているので、

粗相があってはいけない、という気持ちが強くなります。

粗相って(笑)

でも、その心境が一番近い。

おかしなことをしてはいけない、

早く認めてもらいたい、

なじみたい。

そんなことを考えつつ、仕事のことも考えつつ覚えつつ…

疲れます。

へとへとです。

一日頭がピリピリして稼働している状態でほぐれないので、

4月から毎日晩酌しています。

体を壊さないか心配です。

そして、最大に大変だと思うこと。

毎日毎日、本当に毎日、

他人から怒られるんです。

愛のある指導であることは頭ではわかっています。

別に人間的に否定されたわけでもないこともわかっています。

頭では。

でも…

気持ちがついて行かない。

また怒られた…

今日も怒られた…

これも怒られるかな…

そんなことばかり考えるようになってしまいます。

もうね、私なんてダメな人間だ、としか思えなくなってくるんです。

こんなにバカで間抜けで使えない人間はいらないよな…

毎日そう思っています。

生き恥をさらしているような気持。

本当にキツイです。

ここまで書いてきたこと、先にも書いたけれど、年のせいでもないのかもしれません。

私の性格のせいかもしれない。

いじけ体質なので。。。

しんどい。

本当に、しんどい。

なんとか半年、なんとか一年。

そしたら辞めてもいいか。

毎日そんな気持ちです。

4月から111日経ちました。

一年終わるまであと254日。

平和をこんなにありがたいと思ったことは無い

こんにちは。

ロシアがウクライナに侵攻してしまいました。

この現代で信じられない出来事です。

驚いています。

明日はどうなるかわからない、とこんなに考えたことはありません。

コロナが蔓延するようになり、明日死ぬかもしれないということは実感していましたが、

今回の出来事はまたこれとは違った意味で驚愕しました。

暴力によって毎日の生活が奪われてしまう恐怖。

コロナとはまた違った恐ろしさを感じます。

平和というものは、先人が何度もおっしゃっておられるように

不断の努力の上に成り立つもの

なのだということを、こんなに感じたことはありません。

しかし…

個人的に何ができるわけでもない。

個人的にできることは、やはり、

毎日を悔いなく生きること。

やりたことは明日に持ち越さないこと。

やりたくないことはやらないこと!!(理想ですが)

ほんとに、これ。

生きていくためには稼がないといけませんが、

なるべくなら、仕方なく働いている、と思わなくて済むような仕事をすること。

逃げたほうがいいなら、逃げてしまうこと。

やりたいこと、行きたいところがあるなら、

少ないお休み、短い時間であってもやってしまう、行ってしまうこと。

これに尽きる気がします。

明日は必ず来るとは限らない。

こんなに不安定で怖い気持ちになったのは初めてです。

明日はないかもしれない。

でも、明日が来るかもしれない。

ならば、明日来た時によりよい日にするために今日も有意義に過ごす。

これだけ。

とにかく、今を生きる。

今に集中する、というと、

バカな私は、

目をじっと見開いて固まってしまう感覚になるのです(笑)

だから、今に集中する、という言い方はなんかしっくりこないので、

今を生きる。

今生きてるんだぞー、生きているだけで幸せだぞー

と感じる。

個人でできることはこれしかない。

とにかく、平和ってありがたい。

平和って勝手に手に入るものじゃない。

プロになることを舐めていたことに気付いた話

こんにちは。

久しぶりになってしまいました。

少しずつ転職活動を始め、なんとなくこの道でやっていこうという気持ちができつつあります。

この間にいろいろと考えたことがあるので、書きます。

子供のころから比較的好きなことが多い人間でした。

それから、妄想が好きという癖もありました。

たとえば。

絵を描くのが好き。

ボケっと景色を眺めて妄想を働かせるのが好き。

本を読むのが好き。

海外に興味がある。

言葉に興味がある。

電車が好き。

乗り物が好き。

温泉が好き。

こんな感じで、いろいろと好きなことが多い人間でした。

ただし。

これをやっていないと死んでしまう!

私ではなくなってしまう!

というものは一つも、ない。

例えば、有名な絵描きなどは、子供のころからとにかく絵を描いていた、と言います。

本が好きな人は、毎日一冊は読んでいたといいます。

写真家は、毎日カメラを持ち出してなんでも撮っていたといいます。

言葉に興味がある人は、言語学を極めます。

鉄道が好きな人は、一人でもあちこち出かけるし電車の型番まで空で言えます。

私にはこういうものは、一つもなかった。

どれもこれも、好きというだけ。

見たり聞いたりしたりすることは好きだし、しているときは心地いいけど、

やらないと死んでしまうほど、心の底から渇望するものは一つもない。

そのことに、気付いたのです。

いえ、もとから気付いていたんですけど、きちんと認めていなかったんだと思うんです。

いまからでも始めればプロになれる!

とか思って、現実から目を背けていた気がします。

いや、10年も毎日毎日繰り返し実行に移し、極めればプロになれるんだと思います。

それはそうなんだと思う。

だけど、

それを仕事にするかどうか、できるかということとは別。

そのことにきちんと目が向いた感じ。

10年極めて仕事にしたい何かがあるのか?

毎日毎日飽きもせず、苦にもならないものはあるのか?

やってみていないので、何とも言えないんですけど。

でも、

この年になるまでとことんやってみていないのだから、この先もやってみることはないんじゃないか??

これに尽きる気がするんです。

絵を描きたい人は、独学でも描くんです。

電車に乗りたい人は、隙間時間でも乗りに行くんです。

そういうもんなんです。

その情熱を向ける対象が、私にあるのかい?

正直、ない。

あくまでも趣味の範囲から出ないんです。

この世の中、何かをとことん突き詰めた人が有名になりますし、

収入も多そうに見えませんか?

何かを突き詰めないとダメなんだ、すごくないんだ

そんな気、しませんか?

でも、そこまでできる人は稀だからすごいんですよ。

みんながみんな、できるわけじゃない。

もっと子供のころから手当たり次第に徹底的にやってみていたら

これが得意かも、とか、すごく好きかも、とか

思えるものがあったのかもしれませんが。

そういうことはしないできてしまったので。

後悔しても遅いというか、

そもそもそれを後悔するのか?というか。

まぁ、とにかく、

私は普通だった、ということに向き合うことができたわけです。

だったら、大学まで行って学んできたことを仕事にしつつ、

好きなこと、心地いいことは趣味としてちょこちょこやっていったら、

普通に幸せなんじゃないのかい?

と。

気持ちが整理できたんです。

この年になって、やっと!

好きなことを仕事にできたら、苦もなく楽しい人生を送れるはず!

と思い込んできたことに気付いたんです。

でも…

そんなに毎日考えてて苦にならないほど好きなことってなんじゃ??

なくない?

…実は、あるにはあるんですが。

それは年を取ってからも間に合いそうなので、お楽しみに取っておこうかな!

そういう考え方もありですよね。

今まで暇だったんだろうなぁ、とにかく仕事に不満があったんだろうなぁ、なんとなく幸せじゃなかったんだろうなぁ

と思います。

何者かになりたい、という気持ちが強くて空回りしていたんだと気付けたんですよね。

ブログセミナーに行ってみたりしましたが、

毎日書けばプロになれる!

質より量!

とかいう言葉を聞いてその気になっていましたが…

そもそもテーマが決まりませんでした(笑)

それに、

もはやブログだけで有名になれる世の中ではなくなっている気がします。

本当に本当にその道に詳しくなるか、とにかく面白い人物であるか、

そこまでじゃないと、食べていけるほどの人物にはなれないでしょう。

今回、転職を考えるにあたって、

今までみたいに土日祝日休み、夏休みも冬休みもあるような条件ではなくなり、

夜中も早朝も仕事かもしれない職種で

やっていけるのか不安でした。

でも、プロになるってそういうことなんでしょう。

そこまでしてやっとプロになれるんでしょう。

プロになりたいんだったらそこまでやれ、ということなんでしょう。

その道を究めたいと思ったらかなり大変だ、ということが、

やっとわかった!!

遅い(笑)!!

プロになる道の途中で、

体が疲れたら温泉に行き、

癒しを求めて絵を見に行き、

心の栄養のためにに写真を撮り、

心が疲れたらワクワクするために電車に乗りに行く。

そして、楽しく妄想する。

いずれもお休みの日にちょこっとできることです。

有休を使うまでもなく、ちょこっと。

本職を究めるための彩で何が悪いんだろう。

なんでいままで気付かなかったんだろう。

ということに気付いたのでした。

まぁ…疲れすぎて何もしたくなくなることも目に見えますが…

心に余裕は欲しいですよね…

そのようになるまで何年かかるのかな。

それではまた。

寝る間が惜しいと思ったらこっちのもんかもね

こんにちは。

しばらくぶりになりました。

ちょっと面接などをしていたものですから。

バタバタしていました。

そして、精神的に疲れていました(笑)

慣れないことをすると疲れるってだけです。

さて、いろいろと思うことがありました。

新しい仕事をするにあたっては、

「何もできなくて当たり前」

と、周りは思ってくれています。

この周りのお気持ちを当たり前と思わず、努力することは当然です。

ただ、

「何もできなくて当たり前」

と思っていてくださることはありがたいことです。

少しは甘えてしまおうとは思います。

今日はそのことではなくて。

いろいろ心配事がでて頭がぐちゃぐちゃになっていたんです。

みなさん、採用される側がきにしてらっしゃるのは、共通しています。

「体力」です。

今までも体を張った仕事をしてきましたが、

サービス業ですと、本当に一日立ちっぱなしになります。

最近はありがたいことに、昼休憩は必ず1時間取らせてくれます。

なので、座れるのはこの1時間のみ、ということもざら。

…これがことのほかキツイ。

そして、一日が始まってしまうと、全員が目まぐるしく動き回ります。

最初はついていけないでしょう。

なので、いるだけで気付かれすると思うのです。

ここでも無駄に疲れます。

ほんと、へとへとだと思うのです。

さらに、

勉強をしないといつまでも素人と同じ状態です。

さて、勉強する気力が残っているのやら…

またさらに、

公務員ってものすごい休日が多いんですよね。

民間に移るということはそれがガクンと減るということ。

休日はもともとそんなにガンガン取らないほうだったので、大丈夫のはずですが、

休日があって休まないのと、

もともと無いのと。

精神的に変わってきます。

…私にできるんだろうか?

本当に続けていけるんだろうか??

そのようなことをグルグルグルグル考え続けていました。

そんなときに、滝沢カレンさんの記事を読みました。

なんでも、倖田來未さんのライブのバックダンサーとしてこっそり紛れ込んだらしいですね。

もともとクラッシックバレーのご経験者だそうですが、

勝手が違って本当に大変だったようです。

その中でカレンさんが、

「寝る時間が悔しくて、夢の中でも踊っていました」

とおっしゃっていました。

…おそらく、寝る時間が惜しくて、だと思うんですけど。

話は通じます(笑)

そう、これですよ、これ。

好きこそものの上手なれ。

寝る時間も惜しいほど上達したい!!

と思えるかどうか。

これが、続けられるかどうかのポイントだと思ったんです。

どうしてもやりたいことなら、

なんとかこなせるものなんじゃないかなぁ。

完全に根性論ですが。

なにしろ、やりたくもないことで一日へとへとになっていたんですからね。

忍耐力は自信がありますよ。

15年、忍耐力を鍛えてきたようなものですので。

なんか、話が取っ散らかってつながってませんね(笑)

つまり、

体力が心配、と言われて、私もそうだな…って落ち込んでいた。

考え直そうかなぁ、とか思っていた。

そこへ、カレンさんの記事を読んだ。

上達したい!と思うことがモチベーションとなって、体力を凌駕してくれるんじゃないか?

寝る間も惜しいと思えたらこっちのもんだよね。

忍耐力には自信があるしね。

という話でした。

ほんと、寝る間が惜しいって、最近では推理小説を読んでる時くらいですもん(笑)

と、まぁ、話がぐちゃぐちゃになりましたが。

そんな話でした。

それではまた。

どこで仕事をするかではなく、何をするかが大事でしょう

こんばんは。

転職活動がやや活発になってきました。

面接が続きそうです。

さて。

そうなってくると、どういうところに就職したいか、を考えるものです。

勤務地や条件なんかが気になります。

さらには、なんだかすごいことをやっているようなところに惹かれてしまうものです。

そして、

今度面接するところが第一志望だから、絶対に受かりたい!!

とか考え始めてしまうのですよ。

でも、よく考えてみると。

残念ながら、就職は採用する側が私を採用してくれないと始まらない。

いくら入りたいと思っても、どうにかなるものではないですよ。

それなのに、

絶対に受かりたい!ここを落ちたらもうほかに道はなーい!

という心境になりがち。

いやいや、冷静になりなさいよ、自分。

そもそも、

どこに就職してもやることは同じはずです。

動物を診察して治療すること。

条件は良いに越したことは無いですが、

どこでやったって同じなんじゃないでしょうか。

就職してみて、あまりにもひどい条件だったら、また考え直すしかない。

まずは、

ちゃんと一次診療ができるようになるということが第一目標でしょう。

だったら、どこでもいいじゃん。

その先はまた考えればいいし、状況が変われば考えも変わってくるだろうし。

まず、何が重要なのか、一番大事なことはなんなのか。

そこを考えられるようになりたいものです。

そんなことを考えました。

それではまた。

医者なら診療ができるのが当たり前。それ以外に何ができるか。

こんばんは。

今日は根源的なことに気付いた話です。

獣医師として働いてみたい。

だけど、不安で仕方がない…

なんて言っていましたが。

考えてみたら、

獣医師だろうが医者だろうが、

診察ができるのって最低限のことなんではないでしょうか??

内情としましては、

学生時代に実際に診察に携わる学生は少ないのです。

特に研究室が基礎系の学生はほぼない。

でも、

そのほかの人々からしてみたら、資格を持っているなら診療できないとおかしい。

そうなんです。

私、そのことから目をそらして生きてきました。

自信がない。

というか、

無理無理。

いやいや…

だったらこの資格ってなんなんじゃい?

となりますよね。

そう。

病気について考えることができて、どうしたら治療ができるか。

最低限の基礎知識があって当然なのだと思ったんですよねー

最低限の診察、診療ができて、それ以外に何ができるのか?

私は、さらにそこから何を勉強して何を患者さんに提供できるのか?

そちらのほうが重要だったんじゃないだろうか…

それに気づいてしまったのです!!

臨床なんて無理無理…

なんていうのは問題外で、一般診療はできて当たり前だったんですよ。

自戒を込めて書いています。

それがその先生の付加価値になるともいえますが、

診療の真骨頂ってこちらなんじゃないかなぁ。

もちろん、一般診療をないがしろにしているわけではありませんよ。

こんなことを書いていますが、一般診療できませんもの、私。

そういう気持ちでやっていきたいと思ったのでした。

それではまた。

二拠点生活を本格的に考えてもいいんじゃないかと思いました

こんばんは。

なんとなく地に足がついてきたかな?

と思う今日この頃。

一人だけ食べていければいいという結論に達したら、

考えも自由になってきました。

なんであんなに時間があってきちんとお勤めしていた時にときに考えなかったのか不思議です。

おそらく。

この仕事は一生続けたくないな、と思いながら勤めていたからだと思うのです。

お金も遊びに、無駄に使っていました。

今となっては、もったいなかった。

というのも。

二拠点生活に向けて本当に現実的に考えてもいいんじゃないか?

と思い始めたからです。

きっかけは、テレビ朝日の「ぽつんと一軒家」。

これ…

ずっと見ていたのに、自分事として考えたことがなかったんですよね。

でも、

東京の近くにも素敵な場所はたくさんありますよね。

私がずっと心に思っている場所は、まずは奥多摩。

次に気になるのは、山梨県勝沼近辺。

さらにもう一か所は、秩父。

そして忘れてはいけないのが、伊豆。

この四か所が気になる土地です。

いずれも、我が家から電車で2時間ちょっとで行けるのです。

伊豆以外は車でも1時間と少し。

案外、近い…

これは現実的なんではないでしょうか?

何をするかと言えば、

やはり、一番には農業がしたいです。

野菜を作ってみたい。

そして、少しずつ将来のビールづくりのために場所を整えてもいい。

ぽつんと~を見ていると、場所づくりを楽しんで、結果的に出来上がらなくても、

その過程が楽しそう!

それでもいいなぁ、なんて思うんです。

先延ばしにするつもりはないのですが、

先立つものがないのも現実。

一生懸命働いて、土地を買うお金を貯めたい。

リアルにそう考え始めています。

もしかしたら、もう手に入れられる値段のところもあるのかもしれないですしね…

山が好きだし、川のそばがいいですね。

でも、海が望める場所も素敵。

楽しい、夢のある悩みができました。

休みの日に土いじりをするためだけに出かけるなんて、なんて贅沢!!

こんなことをきちんと現実のこととして考えたのは、初めてです。

生きる、ということを初めて真剣に考え始めた証拠です。

本当に、刹那的に生きていましたからね…浪費しかしてこなかった。

本職でもきちんと技術と知識を身に付けて、どこでも働けるようにすること。

本職に自信がついてきたら、農業の勉強も並行して行うこと。

田舎の土地を買うためのお金を貯めること。

こんなことがきちんとできたら、たくましく生きていくことができるのではないかしら…

甘いのかもしれませんが。

サラリーマンで嫌々働き続けて、憂さ晴らしのように浪費をし続けることよりも、

よっぽど健全な夢なんじゃないかしら。

そう思うんですよね。

場所に対する検討はまた後日書きます。

さて、どうなりますやら…

それではまた。

自分の食べるものを作れることは安心につながりますよね

こんばんは。

最近、やっと本格的に転職を考え始めましたが。

この間にいろいろと考えることがありました。

もしかしたら過去にも同じようなことを考えて、同じようなことを書いているかもしれませんが。

一度書いたものを読み直さないのはもったいないことなんでしょうけどね…

恥ずかしく手読み返せません。

さて、そんなことはどうでもいいのですが。

二軸で生きる、ということを考えています。

これは、養老孟子先生と伊集院光さんとの対談本で話されていることでもあるのですが。

都会で勤め人として生きるのが一軸。

それとは別に、もう一つ軸があるといいよね、という話。

例えば、片方の軸で躓いてしまったときに、いったんそこから離れる場所があると安心ですよね。

また、別の場所でいったん休憩していると、違った見方ができるようになる。

もう一回同じ場所に戻っても見方が変わったり、

同じ場所に戻らず、もう片方の軸で生きて行ったり。

そのようなことができるのが、二軸生活です。

ずっと考えていたことです。

でも、

こういうことを考えると、都会生活ばかりしていると、

お金がないとできないじゃん。

と、まず思ってしまうものです。

だから、地方出身で帰れるところがある人っていいですよね。

でも、もしかしたら今は、安く借りられるところがあるものなのかもしれません。

一年の半分とは言わないけれど、ときどき都会から離れられる生活をしたいものです。

で、

そこでは野菜を作ったり、そばや小麦を作ったりして、自分が何とか食べられるものを育ててみたいんです。

そうすれば、たとえばある時現金収入を得にくい状況になったとしても、

何とか生きていけるのかなぁ、と。

甘い!

とお叱りを受けそうですが、売り物ではなく、自分で食べる分だけでいいんです。

ひょろひょろの人参でも、ひん曲がったキュウリでも、虫食いだらけのキャベツでもなんでもいいんです。

食べられれば。

転職を考えたときに、

これで失敗してしまったら生きていけない、

という恐怖がとても大きかったのです。

お金がないと生きていけない…

と思ってしまっていました。

確かに、お金がないとキツイです。

でも、食べるものがあれば(それと雨露がしのげる場所があれば)、最低限生きていけるんじゃないかなーと。

そう思ったら、なんとかなるかもしれないと思えたんですよね。

なので、

いつかいつか、ではなくて、

転職と同時にそんな事も叶えられる方法を考えてみようかな、

と思っています。

前にも書いたかもしれませんが。

そんなことを考えたのでした。

それではまた。

やりたいことがあるなら、人生なんとかなるんでないかな

こんばんは。

人生について考えようシリーズです。

なんでもシリーズ化しますね…

さて、

ここのところ転職を考えています。

いよいよです。

でも、不安で不安で、一歩から先が進んでいない。

なんでこんなに不安なのか?

失敗したらどうしよう…

と思っているからです。

そもそも、失敗ってなんじゃ?

今の仕事も、自分の中では失敗と思っているんだから、

すでに失敗しています(笑)

でも、

なんとなく仕事には慣れてるし、そんなに大変でもないし、

不満はあるけど不安はない状態なのが、今です。

人間関係で躓いて今に至るわけですが、それを差し引いても大船に乗っている感覚です。

で、これから転職したとすると、今までの大船とは違って、

小舟で荒波の大海に出ていく感覚です。

これが、怖い怖い。

小舟からポイっと落とされてしまったら一貫の終わり…

人生詰んだな…

ていう感じ。

でも、これから転職しようとしている業界は一度はやっておかないと後悔しそうなのです。

それがダメだったら…

40過ぎのオババに先はない…

と怖くなるんです。

でも、そういえば。

私、他に何かやりたかったんでなかったっけ??

そうです、ビールづくり!

そして、ハム・ソーセージ作り。

今はコロナ禍で飲食店は厳しいので、考えられない。

ですが、飲食は絶対にいつかやりたいもののうちの一つです。

それも、

海外で修行してみたい!!

これは最近思い始めたことです。

で、ぼやっとですが、

定年退職(あるいは早期退職)してからできるんじゃないか?

と思っていたわけです。

だったらですよ。

例えば、これから転職する業界が肌に合わなかったら、

やりたかったことを早めにやってしまったらいいんではないでしょうかね。

考えていたよりもちょっとだけ早まったってだけです。

たぶん、職人の業界は独学だって何とかなる世界でしょうし(そんなに甘くないよ!とお叱りを受けそうですがね)、

人生の先輩方は壁を乗り越えて修行されているじゃありませんか。

ほら、「人生の〇園」とかそういう番組で出てくるじゃないですか。

自分だけ細々と生きていければいいので…

修業期間どうやって食べていくのか?という心配はまた出てきますが、

とにかくやりたいなぁ、と思っていたら次の展開が見えてくるんじゃないでしょうかね。

なので、やりたいなぁ、というものは常に意識しておくことが大事だと思うんですよね。

今すぐやる、やらないにかかわらず。

生きていくモチベーションになるし、それが安心材料にもなるのかもしれない。

他にもいくつかやりたいことがあるので、

人生なんとかなるかなぁ。

そんなことを考え始めたのでした。

それではまた。

努力しなくても人生とんとん拍子と思っていた疑惑

こんばんは。

昨日に引き続き、疑惑シリーズ。

昨日の話とも通じますかね。

私、なんとなく生活してればいつかどうにかなる、と思っていたフシがあるのです。

なんとなく昨日のデジャヴみたいですけど。

来世というわけではなく、この人生でも、なんかいいことが転がってきて人生とんとん拍子に良くなる!

という感じで、おとぎ話みたいなことを考えていたフシがある。

良いことはいつでもウェルカムだから、本人はのほほんと生きていればいいのである。転がってきたらキャッチすればいいのだ!

そう思っていたフシがあります…

賢明なみなさんはおわかりでしょうが、待ってたってそんないいことなんて転がってこないんですよ。

自分が動くから何かに当たるわけで。

どうやら人生どうでもよかったみたいです、私。

テキトーに生きていました。

海外旅行に行きたい!

って言っていたはずなのに、今まで行った回数3回くらい。

写真がプロ並みになりたい!

って言っていたはずなのに、カメラって最近触ったっけ??スマホのカメラは使うけど。

いい加減~

テキトーですね。

何事も努力をすればすべて叶う!とは思いませんが、

それでも、多少の努力はしないと人生って開けてこないんじゃないだろか?

この1年半、停滞して気付いたことです。

やたら内省はするので、自分のことは少しだけわかってきましたが、

なんの棒にも当たっていませんよ。

犬も歩けば棒に当たるので…犬だって歩かなければ棒にも当たりません。

これは証明されました。

カッコいい王子様なんてものにも出会わなかったし、

大金が手に入ったわけでもないし、

英語が身に付いたわけでもないし、

ましてはスペイン語がペラペラになったわけでもない。

なにもなし、です。

多少の努力は必要です。

引き寄せ云々にはまったときもありましたけど、

引き寄せだって結局はアクションが必要なんです。

なにか頑張って…頑張らなくても地道に何かをやっていればいつか道は開ける。

これはあると思うんです。

なにかをやっているわけでね。

本人が努力と思っていないことは理想的ですが、

多少の努力は必要です。

当たり前の話でした。

それではまた。